河越館 のバックアップの現在との差分(No.1)


埼玉県川越市上戸(うわど)に位置する城館。

現実の城情報 Edit


埼玉県川越市上戸(うわど)に位置する城館。


【城郭構造】

入間川西側の河畔に建つ、城としては単純なおよそ2町(218m)四方の城地を持つ単郭式。在地豪族で秩父氏流の河越氏の館である。

東側に接する入間川を天然の堀として使っていたことも考えられる。

高さ1~3mの土塁で周囲を囲み、その外に堀が掘られていた。いずれも一部現存している。その他に井戸跡、住居跡などが残る。

館の本郭だけでなく、周囲にはそれぞれに区画された付随施設の跡が多数確認されており、当時の中心地でもあったことが窺える。

また館跡北東には幅約11メートル、深さ3メートルに達する外堀があり、かつては入間川の水を引き入れていたと思われるが、この堀が全周を囲んでいたのか、それとも後代になってから増設されたのかは不明である。

館の一角には石積みで覆われた塚があり、祭祀に使われたと考えられている。

入間川西側の河畔、入間川と越辺川支流の小畔川に挟まれた飯能台地の北東端に建つ、城としては単純なおよそ2町(218m)四方の城地を持つ単郭式。在地豪族で秩父氏流の河越氏の館である。

東側に接する入間川を天然の堀として使っていたことも考えられる。入間川は江戸時代初期の瀬替えで荒川と合流されるまでは直接江戸湾に注ぎ、古代より物流の大動脈となっていた河川だった、 台地は館跡付近で低台地化し、北に続く水田面の沖積低地とは比高差がほとんどない。


総じて戦うための城というよりは河越氏の生活を営む居館であり同時に鎌倉幕府の地方政庁に近いが、歴史の項で触れるように実戦経験もある。

また時代が下ると一帯は山内上杉家と扇谷上杉家の争乱の舞台となり、河越氏没落後の河越館跡は山内方の陣城・上戸陣(うわどのじん)として用いられた。

上戸陣時代の堀跡が(館の区画割りとは違い)縦横に掘られており一定の改修がなされている。現在はその両者を容易に見分けられるような方法で展示されている(後述)。

さらに時代が下った戦国時代には川越城の出城としても使われた。したがって川越城と並び立つことも可能ではある。
所在地埼玉県川越市上戸
所在地埼玉県川越市上戸・鯨井
現存状態堀、土塁、井戸跡、住居跡など
城郭構造単郭式平城

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