水口岡山城 のバックアップ差分(No.1)
*現実の城情報 [#information] 【歴史】 戦国期の甲賀郡は小規模な領主が割拠し、甲賀衆と呼ばれていた。 甲賀郡内では織田信長による畿内制圧後も甲賀衆による支配が続いたが、天正13年(1585年)に羽柴秀吉は甲賀衆の改易・解体を行った(甲賀破儀・甲賀ゆれ)。 秀吉は家臣の中村一氏に水口岡山城を築かせ、甲賀郡を支配させた。 一氏の転封後に城主となったのが増田長盛で、文禄4年(1595年)からは長束正家が城主となった。 正家は慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いでは西軍に属し、戦後に自刃した。 #br 関ヶ原の戦い後、徳川家康はこの地を直轄支配したが、間もなく水口岡山城は廃城となった。 寛永11年(1634年)には徳川家光が上洛する際の宿館として、水口岡山城の西方約1キロメートルに[[水口城]]が築かれている。 一般的にこちらの家光時代の城が「水口城」と呼ばれるが、豊臣期には水口岡山城を指して「水口城」と読んでいた。 #br 【城郭構造】 水口岡山城は旧甲賀郡のほぼ中央、旧東海道水口宿を南側に見下ろす古城山(大岡山)に築かれた。 甲賀衆によって築かれた城郭のほとんどが平地部あるいは尾根先端部に位置し、50メートル四方程度の規模だったのに対し、水口岡山城は山頂部の曲輪だけでも東西約800メートルにわたって広がる。 さらに山麓部には堀で囲まれた外郭が広がっており、甲賀郡では最大、滋賀県内でも最大級の城郭の一つだった。 #br 山頂部の本丸は東西に細長く、西端にはやや高くなった櫓台状の高台がある。 そのすぐ東側には枡形虎口があり、この枡形を直下に抑える位置にあることから、本丸西端の高台は天守台と考えられる。 一方で江戸時代初期に描かれた「江州水口絵図」では本丸東端に高台を天守台と記しており、こちらは東側に続く曲輪に対峙する位置になっているため天守台として妥当である。 平成26年(2014年)に実施された発掘調査の結果、どちらからも石垣を伴う櫓台遺構が発見され、その平面規模も拮抗しており天守台として考えられることから、本丸の東西に天守が並び立っていた可能性もある。 #br 本丸の北側斜面には高さ約2メートルほどの石垣が見つかった。 当時は本丸を全周する石垣が築かれていたと考えられるが、現在は廃城後に崩され、あるいは自然崩壊もあって失われている。 本丸の東側には二の丸、三の丸、無名の曲輪が連郭式に並び、これらの曲輪と本丸は帯曲輪によって連絡されている。つまり本丸から他の曲輪へはいったん帯曲輪を経由しなければならない構造となっていた。 本丸の西側には西の丸があり、主に切岸によって防御が施された。 本丸から南側に下った中腹には枡形虎口があり、現在は土塁が方形に囲んでいる。 平成25年(2013年)に行われた発掘調査の結果、本来は石垣で囲まれており、廃城後に破却されたことが判明した。 この枡形は東西に連なる曲輪群を経由せず、本丸と山麓とを最短距離で結ぶことから、大手だったと考えられる。 #br 本丸南側の枡形虎口から続く道は現在の大岡寺付近に連絡しており、「江州水口絵図」には大岡寺付近に「古御殿屋敷」「新御殿屋敷」と記され、山麓居館と考えられる。 その南側は一段低くなっており、さらに南側では水路が東西に伸びていて、現在は幅が狭くなっているが、かつては山裾を囲んでいた堀だった。 居館跡と堀跡の間には重臣の屋敷地が広がっていたと考えられる。 堀の南側には城下町が広がっていたが、城下町は江戸時代になると東海道水口宿として踏襲された。 東西に伸びた三本の道のうち中央が東海道で、水口から東海道を南東に進めば土山宿を経て約12キロメートルで鈴鹿峠に至る。 天険である鈴鹿峠を守り、あるいは峠を越えて出撃する際の拠点となる地域に水口岡山城は築かれたといえる。 #br 水口岡山城へは大溝城の天守の材木や瓦がが運び込まれたという記録が「長野正勝書状」に残っており、これを裏付けるように水口岡山城と大溝城からは同笵瓦が出土している。 さらぶ天正18年(1590年)に中村一氏が転封した先の[[駿府城]]からも同笵瓦が出土する。 駿府城での同笵瓦の出土は水口岡山城で葺かれていた瓦、あるいはそれに関わった瓦工人が一氏の転封に伴って移動したものと考えられる。 #br 【観光情報】 近江鉄道の水口駅から南東に少し歩いた所に城跡がある。 登り口はいくつかあり、新水口のバス停からのルートがわかりやすい。 古城山には散策路が設けられていて登りやすく、本丸では草木が刈られているため夏場でも散策しやすいが、遺構を細かく見たいなら秋以降がおすすめ。 遺構の解説板は山頂に一帯にしかないため、いったん山頂に登ってから周囲を散策するといいだろう。 |BGCOLOR(#ddd):80|300|c |所在地|滋賀県甲賀市水口町| |現存状態|曲輪、石垣、堀切、土塁など| |城郭構造|連郭式山城| *コメント [#comment] #pcomment(,reply,10,) |
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