棚倉城 のバックアップソース(No.4)
*現実の城情報 [#information]

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福島県東白川郡棚倉町にある平城。江戸時代の寛永2年(1625年)に丹羽長重によって近津明神を遷宮した境内地に築城され、同じく長重により改築された[[白河小峰城]]とともに名城として評価されている。
長重は城が未完成のまま寛永4年(1627年)に[[白河小峰城]]に移り、代わって入った内藤信照によって築城が続けられた。完成した棚倉城は城の壁が荒土のままだったことから「新土城」、また近津明神の跡地に築城したことから「近津城」とも呼ばれた。
「亀ヶ城」の別名は堀に棲んでいると言われる大亀によるもので、姿を表すと必ず城主が国替えになると言われている。亀ヶ城の異名を持つ城は多くあり、たとえば同じ福島県には、地元では鶴ヶ城と呼ばれる[[会津若松城]]の支城である猪苗代城があるが全く関係ない。
棚倉城の城下には南から北に水戸街道が通り、関東と東北の境目に位置する城として重視され、内藤氏の後は太田氏、越智松平氏、小笠原氏、井上氏、松井松平氏、阿部氏と親藩・譜代大名がこの地を治めた。
戊辰戦争の時に一日で落城したが、現在は公園となり石垣や本丸を囲む土塁の大部分、本丸の水堀が現存している。本丸は西向きに凸形で、本丸を長方形の二の丸が取り囲んでいる。近年の発掘調査では本丸を全周する多門櫓の礎石が発見され、大規模な改修や修築が見られないことから、棚倉城は寛永期の姿をよく留めていることがわかった。

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|所在地|福島県東白川郡棚倉町|
|現存状態|水堀・石垣・土塁|
|城郭構造|平城|
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