松尾山城 のバックアップ(No.5)

現実の城情報 Edit

応永年間(1394年~1428年)、富島氏によって関ヶ原盆地の西南、松尾山に築かれた。
浅井家臣で鎌刃城主の堀秀村に仕え、稲葉山城乗っ取り事件のあと竹中半兵衛を長亭軒で世話した樋口直房も浅井長政の命で一時ここを占拠しているが、半兵衛の調略により秀村とともに織田に寝返った。
その後は、稲葉良通、安藤守就、氏家直元とともに西美濃四人衆とも言われるも斎藤氏滅亡後、織田信長に仕えた不破光治が入城したが、龍門寺城に移ると一時廃城になった。
しかし、慶長5年(1600年)、石田三成と徳川家康の衝突が避けられなくなると、大垣城主・伊藤盛正(盛宗とも)は三成に大垣城を提供するとともに松尾山城を修築し、布陣することとなった。


所在地岐阜県不破郡関ケ原町山中
現存状態曲輪、土塁、堀切、竪堀
城郭構造山城

コメント Edit

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  • 新説が定説となりつつある城、イイネ -- 2017-04-23 (日) 20:27:27
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