東寺 のバックアップの現在との差分(No.1)

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*現実の城情報 [#information]

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796年、平安京羅城門の東西に京を鎮護する官寺として建てられた両寺のうち、東の寺にあたる。東寺は通称で公称では教王護国寺と呼ばれ、正式名称は金光明四天王教王護国寺。
823年に嵯峨天皇から空海に下賜され、空海は東寺を根本道場として高野山金剛峯寺とともに真言宗布教の拠点とした。
比叡山延暦寺を本山とした最澄が広めた天台宗の密教を台密と呼ぶのに対し、空海が広めた真言宗の密教は東寺の密教を意味する東密と呼ばれ、のちに仁和寺の広沢流、醍醐寺の小野流とに分かれ、その後70余流に細分していった。
延暦15年(796年)、平安京羅城門の東西に京を鎮護する官寺として建てられた両寺のうち、東の寺にあたる。東寺は通称で公称では教王護国寺と呼ばれ、正式名称は金光明四天王教王護国寺。
弘仁14年(823年)に嵯峨天皇から空海に下賜され、空海は東寺を根本道場として高野山金剛峯寺とともに真言宗布教の拠点とした。
[[比叡山延暦寺]]を本山とした最澄が広めた天台宗の密教を台密と呼ぶのに対し、空海が広めた真言宗の密教は東寺の密教を意味する東密と呼ばれ、のちに仁和寺の広沢流、醍醐寺の小野流とに分かれ、その後70余流に細分していった。
京の都はたびたび戦乱の舞台となったこともあり、文明19年(1487年)には宝蔵北側に新たな堀が築かれ、慶賀院の外構が設けられるなど、城郭としての強化が行なわれている。
また、豊臣秀吉の[[御土居]]に囲まれる範囲で、応仁の乱以前に遡り現存する建造物は、この東寺と大報恩寺(千本釈迦堂)のみであり、東寺は世界遺産、大報恩寺の本堂は国宝に指定されている。

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|所在地|京都府京都市南区九条町|
|現存状態||
|城郭構造||

|現存状態|堀など|
|城郭構造|寺院|
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