本与板城 のバックアップ(No.2)
現実の城情報【歴史】 室町時代に本与板城には越後守護上杉氏の重臣である飯沼氏が居城したといわれている。 天文年間(1532~1555年)に飯沼氏を滅ぼした直江景綱は、飯沼氏に代わって本与板城に入城した。 その後直江氏は本拠を本与板城から与板城に移したとされるが、時代が変化するなかで拠点城郭を移動することは戦国領主の間でよくみられるものだった。 【城郭構造】 本与板城は俗称「城」と呼ばれる丘陵上の本城地区と、本城地区から東方に突き出した丘陵先端部にある砦地区から構成されている。 本丸は1500平方メートルもある大きな曲輪で、ここに「本与板城址」などの碑がある。 二の丸は本丸と同規模の空間であることから、ここにも主要な建物や施設が存在していたと考えら、西端にコの字型の土塁が築かれている。 南曲輪は5メートルほどの切岸で2つに区画され、本丸寄りの北側の曲輪は本丸の南直下に位置し、城の出入口にも近いことから非常時に兵が集結した武者溜まりと考えられる。 本城地区の東方に張り出した砦地区は、頂部に櫓台状の小さな曲輪が設けられ、その周囲に多くの腰曲輪が桟敷状に配置されている。 本与板城は砦地区を含めると東西約500メートル、南北約250メートルにおよぶ大規模な山城となっている。
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