撫川城は撫川陣屋とも呼ばれ、江戸時代に庭瀬城跡に置かれた旗本戸川氏の知行所である。 現在の撫川城跡には、東西約85メートル、南北約55メートル、幅15メートルの濠と、南側と北側と西側の一部に野面積の石垣が残っている。 北西端には櫓台と思われる石垣の張出しも見ることができ、東半分には土塁が現存している。 撫川城址公園入口にある門は、撫川陣屋総門を明治になって移築したものである。
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現在の撫川城址公園の東側には庭瀬城跡がある。 これは、庭瀬藩戸川家が戦国時代の庭瀬城跡に構えた陣屋の一角に、戸川家改易後、家名存続を許された戸川達冨が、現在の撫川城跡周辺に居所を置き、さらに1683年(天和3年)に、庭瀬が再び大名領に復帰した際、旧庭瀬城の放棄されていた東側に久世重之が新たに居館となる陣屋(庭瀬陣屋)を置いたためである。
1957年(昭和32年)、この地は「撫川城跡(芝場城跡)」として岡山県史跡に指定され、現在の敷地内北側には三神社が鎮座し、撫川城址公園として周辺住民の憩いの場所となっている。
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