『土岐累代記』によれば土岐頼康が、また『新撰美濃志』によればその弟の土岐頼雄が康永2年(1343年)に築城したという。 いずれにしても頼雄が城主となって揖斐氏を名乗り、子孫が代々後を継ぎ、約200年にわたって居城とした。 頼雄直系の基信は土岐政房の子・土岐光親を養子としたが、天文16年(1547年)の斎藤道三による攻撃で落城した。 その後は揖斐氏の家臣・堀池氏が居城としたが、織田信長の美濃国侵攻に伴い、稲葉良通によって城は陥落した。天正年間の半ばには良通の子・稲葉貞通が城主となっている。 関ヶ原の戦い後は西尾光教が山麓に揖斐新城を築き、寛永8年(1631年)には揖斐陣屋が建てられた。
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