宮崎県えびの市東川北。 宮崎県の南西部に位置するこの地に築かれた城。 それが徳満城である。 この城は、南に川内川、東に関川が流れる百貫山から南に伸びる尾根の先端部を縄張りとし、堀切で三つに区画された、高城と中之城と小城と呼ばれる郭で構成された群郭式山城であった。
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築城年代は定かではないが、真幸院の領主・北原氏が飯野城の支城として築いた城であるとされる。 永禄2年(1559年)、北原氏の家督問題に伊東氏が介入し、北原氏を事実上乗っ取ることとなる。 だが、永禄5年(1562年)に北原氏の家臣であった白坂下総介が、島津貴久と相良義陽と北郷時久の協力を得て、島津氏家臣の北原兼親を当主に北原氏を再興する。 その後、北原氏が没落し、真幸院が島津氏に帰すると、飯野城主となった義弘は久藤城を改修して加久藤城とし、徳満城をその支城としたのだった。