岩屋城 のバックアップ(No.5)

現実の城情報 Edit

天文年間(1532年~1554年)に大友氏の家臣である高橋鑑種によって、宝満山城の支城として築かれたとされる。
鑑種が大友宗麟に叛き城を追われた後は、吉弘鎮種(後の高橋紹運)が城主となり高橋の姓も受け継いだ。
四天王寺山の中腹に築かれた岩屋城は、大友氏の本拠豊後を守る筑前の最前線基地であり、本丸から南に伸びる尾根には曲輪が連なり、多数の堀切や竪堀が設けられた。
このため城の南側は特に守りが堅く、虚空蔵砦・西の山砦・西の岩屋砦・百貫島砦なども構えられていた。
本丸からは城下がよく見え、太宰府天満宮や大宰府政庁跡、水城などを見渡すことができる。

所在地福岡県太宰府市浦城
現存状態土塁、堀切など
城郭構造山城

コメント Edit

最新の10件を表示しています。 コメントページを参照 画像を非表示

  • 立花宗茂が幼少を過ごした城だから立花山城のような「天下統一」のキーパーソンになるのかな? -- 2020-05-06 (水) 23:11:57
  • 逸話的にも☆6付いてもおかしくない城だよね -- 2020-12-18 (金) 23:59:54
  • 大野城を実装前に見に行った時、事前情報ゼロで立ち寄って石碑の文字に苦笑してすみませんでした -- 2021-03-13 (土) 23:57:27
  • ここまで実装されないと、何かストーリーに関わる位置なんだろうなあ。立花山さんみたく -- 2021-03-22 (月) 22:59:08
  • この高橋って人物は宗茂の実父だったのね…島津相手に寡兵で奮闘とか…養父も実父もチートクラスの人材だのぅ… -- 2021-04-01 (木) 08:37:53
  • 行ってみたら石碑以外何も無かったけど、ここからの景色はとても眺めが良いので、オススメです。高橋紹運のお墓も歩いて数分のトコにあるので、是非是非。 -- 2021-04-27 (火) 00:41:57
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