岩屋城 のバックアップ(No.5)
現実の城情報天文年間(1532年~1554年)に大友氏の家臣である高橋鑑種によって、宝満山城の支城として築かれたとされる。
嗚呼壮烈岩屋城(クリックで表示) 嗚呼壮烈岩屋城天正6年(1578年)の耳川の戦いで大友氏は島津氏に大敗し、衰退の一途を辿った。島津氏は天正12年(1584年)の沖田畷の戦いで村中城主の龍造寺隆信を破り、筑後を制圧した後は筑前に侵攻することとなった。 圧倒的な兵力差ですぐに決着がつくかと思われたが紹運指揮の下で城兵はよく守り、半月もの間籠城戦を展開した。しかし島津軍の犠牲を顧みない総攻撃によって力尽き、紹運以下763人の城兵はことごとく玉砕したという。 現在、岩屋城の本丸跡には「嗚呼壮烈岩屋城址」と書かれた石碑が建てられており、激戦の舞台だったことを偲ばせる。 コメント |
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