多賀城の西方約1キロメートル、多賀城外の東西大路沿いに位置する、10世紀前半の陸奥守の邸宅。 大規模な掘立柱建物跡や高級な中国製陶磁器、国産施釉陶器などが発見され、「右大臣殿 餞馬収文」と書かれた木簡が出土したことで明らかとなった。 多賀城周辺の館前、多賀前、胆沢城周辺の伯済寺、志波城周辺の林崎、秋田城周辺の勅使館地区などともに国司館や城司館と想定される遺構で、古代城柵が衰退・消滅した10世紀半ば〜後半に多賀城から中心が移ったとされる。
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