屋嶋城 のバックアップの現在との差分(No.1)

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*現実の城情報 [#information]
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治承・寿永の乱での屋島の戦いで知られる地に築かれていた、瀬戸内海防衛を担った古代山城(朝鮮式山城)。
天智天皇2年(663年)の白村江の戦いで唐・新羅連合軍に敗れた大和朝廷は国防体制の強化を進め、屋嶋城は大和の高安城、対馬の[[金田城]]とともに天智天皇6年(667年)に築かれ、九州から畿内に至る縦深防御の一翼を担った。
『日本書紀』天智天皇667年11月条には''「倭国高安城、讃吉國山田郡屋嶋城、対馬國金田城を築く」''とある。
当時の屋島はその名の通り島であり、屋嶋城は標高292メートルの南嶺と標高282メートルの北嶺の全体が城域とされるが、城壁などの遺構は南嶺のみで確認される。
南嶺の周囲には全長約7キロメートルに渡って城壁が巡っているが、その9割は天然の断崖で、断崖の切れ目に人工的な城壁が築かれた。
平成10年(1998年)に南嶺で石塁が発見されてから屋嶋城の調査が本格的に進み、平成14年(2002年)には城門が確認され、高松市による整備事業を経て平成28年(2016年)から一般公開されている。

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|所在地|香川県高松市屋島|
|現存状態|城門・石塁・土塁・水門跡・貯水池|
|城郭構造|古代山城(朝鮮式山城)|

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