小高城 のバックアップ(No.3)
現実の城情報中世を通じて行方郡を所領とした陸奥相馬氏の本拠。相馬氏は下総の豪族・千葉氏庶流の相馬師常が、下総の相馬郡相馬御厨を相続して相馬姓を名乗ったことに始まる。 続きをクリックで表示 この小高城での攻防戦に関して、建武4年(1337年)の第7代親胤の子・胤頼の着到状には「東海道為小高楯到合戦」と記されている。また暦応2年(1339年)の胤頼の軍忠状には、「顕家卿攻小高城之時」に相馬氏の一族が多く討ち取られたとある。そして重胤の子息の軍忠状にも小高城では一族が討死するほどの激戦があり、「国中静謐」のために「屋形」に「城郭」を構えたとしている。 小高城は小高川北岸の河岸段丘が南に張り出した標高約20メートルの丘陵上に立地し、小高川と湿地帯によって三方を囲まれていたため、紅梅山浮舟城とも呼ばれた。
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