南北朝の争乱が続く建武3年(1336年)頃、陸奥相馬氏第6代重胤が小高堀内への南朝方の侵攻に備え、次男の光胤に築かせた。 当時小高堀内には重胤の堀内館があり、これを改修する形で築城が行われた。これは下野国の小山城とともに、日常的に使われていた屋敷を緊急時に要塞化した事例として注目される。 以後小高城は相馬氏代々の居城となり、慶長2年(1597年)に第16代義胤が牛越城に居城を移したが、慶長8年(1603年)には再び小高城が居城となった。 慶長16年(1611年)に第17代利胤が相馬中村城に居城を移し、小高城は廃城となった。 小高川と湿地帯によって三方を囲まれていたため。紅梅山浮舟城とも呼ばれた。
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