安芸城 のバックアップ(No.1)
現実の城情報土佐中村城の土佐一条氏や本山城の本山氏、岡豊城の長宗我部氏などと共に「土佐七雄」に数えられる安芸氏の居城。 続きをクリックで表示 永禄6年(1563年)、国虎は長宗我部元親が本山氏攻めに出陣した隙を突き、元親の居城である岡豊城を攻撃し落城寸前まで追い詰めたが、岡豊城を守っていた吉田重俊や福留親政らの奮戦で撃退された。 安芸城は安芸平野の中央部、安芸川西岸の標高39メートルの丘陵上に築かれ、上壇・北二壇目・北三壇目と三段に築かれた曲輪群を主郭とし、南側には南二壇目が配置され、これらが堀切や石垣で守られていた。 安芸土居は江戸時代を通じて五藤氏が所有し、明治維新で廃城となってからも現在に至るまで五藤氏の子孫が管理している。
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