安濃津城 のバックアップの現在との差分(No.2)
現実の城情報安濃津とは、平安時代より三津七湊の一つとして栄え、伊勢院宮への供米を送る積出港でもあったが、明応7年(1498年)の地震により港としての機能を失った港のこと。 安濃津とは、平安時代より三津七湊の一つとして栄え、伊勢院宮への供米を送る積出港でもあったが、明応7年(1498年)の地震により港としての機能を失った地のこと。 永禄年間(1558年~1570年)、細野藤敦がこの地に築いたのが安濃津城であるが、藤敦の父である藤光が細野城から移るために築いた安濃城とは全くの別物である。 永禄11年(1568年)の織田信長の伊勢侵攻後は、織田忠寛(津田一安)が入城し、その翌年に入城した織田信包により大改修され、本丸から二の丸、三の丸の縄張りに天守、小天守、多くの石垣と堀が築かれた。 『累世記事』によればこの地に城を建てるように進言したのは織田家の重臣である滝川一益であり、縄張りも一益が担当したとされている。 古くは信包が伊勢上野城、あるいはこの安濃津城にて、お市の方やその子供である茶々、初、江の三姉妹を保護したと考えられていたが、彼女たちは織田信次の保護を受け守山城に滞在していたことが明らかとなり否定された。 #style(class=submenuheader){{ }} #style(class=submenu){{ }}
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