邪馬台国の女王・卑弥呼に由来する神籠石として一部で語られる古代山城であるがまだ謎が多い。ただ、もともとこの地は「山門(やまと)」と呼ばれていたことからまったく関係のない土地とも言い切れない。 もう一つ、山門に巣食う田油津媛(たぶらつひめ)という土蜘蛛がおり、一説では女山神籠石はこの田油津媛の巣窟とされている。 卑弥呼の話については、邪馬台国の所在地自体ですら近畿・九州説と二極化に収まらず、九州だけでも熊本説、筑紫王朝説、豊国説、吉野ヶ里説と一向に纏まらない状況である。 この邪馬台国論争を説明し紐解くとキリがないため当欄では扱わずにいたいと思う。九州内でも荒れに荒れているということだけは述べておきたい。
女山神籠石は御所ヶ谷神籠石の3.08キロメートルに継ぐ二番目に長大な城である。その規模は案内板に3000メートルと記載がある。 一つ積みの水成岩列石は各所の谷を横切るように築かれ、現存当時は、横尾谷水門、長谷水門、源吾谷水門、産女谷水門の水門4つが建てられていた。 近くにある豊前坊巨石は豊前坊を指す。福岡はその昔から巨岩信仰の盛んな地であったためこの巨岩もその名残であろう。なお、『日本書紀』に因れば豊前坊は八咫烏とともに神武天皇と同盟を結んだ人物である。
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