大隅松山城 のバックアップ(No.1)

現実の城情報 Edit

鹿児島県志布志市松山町。
鹿児島県の東部に位置するこの地に、この城は築かれていた。
それが松山城である。
築城年代は文治4年(1188年)とされ、平清盛の弟頼盛の孫である隠岐守重頼が築いたのではないかとされている。
戦国時代になると、松山城は島津氏や肝付氏などの勢力争いの舞台となり、何度か落城したといわれている。
最終的にこの地は島津氏の直轄地となり、島津家の家臣・市来氏が地頭となったらしい。
この城は、本丸と二の丸と五兵衛城と八幡城の四つの曲輪があったとされ、現在は、本丸と八幡城を中心に城山総合公園が整備され、二の丸だけが残されて松山城址となっている。

所在地鹿児島県市志布志市松山町
現存状態空堀、堀切、曲輪
城郭構造山城

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