大野城(おおのじょう/おおののき)は太宰府市・大野城市・糟屋郡宇美町にまたがる大城山に築かれた日本最古の古代山城(朝鮮式山城)となる。 『日本書紀』に記されている通り、663年天智天皇の時、白村江(百済)にて唐・新羅の連合軍に敗れた大和朝廷は朝鮮半島から後退し、翌々665年に大陸から大宰府を守るため築かれたものである。水城の築城から一年遅れての設置であった。 まず百済からの帰化人を技術者として起用し、大野城に加え基肄城、水城を築いた。 那の津を第一線とし、突破されると水城で防ぎ、大宰府に敵が迫ればこの大野城を最後の防衛線とする計画であった。
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斎藤慎一・向井一雄共著『日本城郭史』によると、日本の古代山城は「嶮山城類」と「緩山城類」の大きく二つのタイプに分かれ、大野城は前者に属し大宰府の北側背後にそびえる標高410メートルの急峻な大城山に築かれた。 この地域には東アジアの都城をモデルとして、大宰府を中心に山岳部の大野城・基肄城、平野部の水城を外郭として防備を固め、大宰府都城が形成された。 大野城が山城として使われなくなった時期ははっきりしないが、大陸からの侵攻の可能性が無くなった8世紀初めの時点で重要性は失われたとされる。
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