城郭都市ヨーク のバックアップの現在との差分(No.1)
現実の城情報ウーズ川と支流フォス川の合流する平地部分に築かれ、二つの川も市壁の中に取り込んだ、城壁の長さ3.4kmに達する城塞都市。 ウーズ川と支流フォス川の合流する平地部分に築かれ、二つの川も市壁の中に取り込んだ、城壁の長さ3.4kmに達する城郭都市。ヨーロッパ100名城。 現・北ヨークシャー州の州都であり、古代ローマから現代に至るヨークシャーの中心都市。大ブリテン島の中で城壁が残る最大の都市である。 その城壁はローマ時代に建設され補修が加えられてきた城壁と、中世以降に建設された城壁の部分に分かれている。 ローマ時代は現在のヨーク大聖堂周辺を中心に二つの川の間に長方形のローマン・フォートを築いていて、13世紀に南側に拡張された。 20世紀の国王ジョージ6世はヨークに行幸した際、『ヨークの歴史はイングランドの歴史そのものだ』と述べたという。 その言葉通り長い歴史を持つ都市で、かいつまんで述べた以下の折りたたみ部分も相応に長くなってしまったため、時間があるときの閲覧をお奨めする。 続きをクリックで表示 考古学調査によれば、紀元前7000年頃までにはすでに現在のヨーク近辺に人間が定住していたとされる。 1069年、ウィリアム征服王によるノルマン・コンクエストの途上ヨークは焼き払われ、その後に新たなヨークが築かれた。 薔薇戦争はヨーク派とランカスター派が争ったことから、字だけを見ればヨーク地方とランカスター地方の争いにも思える。 17世紀後期以降は貿易の中心地としては緩やかに衰退していく。1800年には市当局が城壁撤去案を提議したが、激しい反発に遭い廃案になった。
城郭構造(クリックで表示) 城郭構造城壁自体は多くの場所で土塁の上に建っていて、盛土も入れると高さは3メートルから5メートルほど。 ヨークでは城門塔をバー(Bar)と呼んでいる。これはノース語での呼び方に由来していて、デーン人統治時代の名残である。 現存する主要なバーはすべて14世紀までに完成したもので、ミックルゲイト・バー、ブーザン・バー、モンク・バー、ウォルムゲイト・バーの四つ。 現存する主要なバーはすべて14世紀までに完成したもので、ミックルゲイト・バー、ブーザム・バー、モンク・バー、ウォルムゲイト・バーの四つ。 そのほかいくつかの小城門(Minor Bar)が存在する。現在バーはどれも比較的単純な門塔になっているが、かつては外側に擁壁を備えていた。 中でもロンドンからの街道が町に入るミックルゲイト・バーは最重要視され、同時に反逆者の首が晒される場所でもあった。前述のヨーク公一派のほか、15世紀初めにはアニック城主の息子“ホットスパー”ヘンリー・パーシー、その子孫*3でエリザベス1世の宗教改革に異を唱えた16世紀のノーサンバランド伯トマス・パーシーも晒し首となった。 城壁は現在も一部を除いてほぼ完全に残っており、城壁上は遊歩道となっている。道や川で分断されている部分以外は上を歩いて市街を一周できる。 城壁はフォス川の両岸部分で不自然にも見える形で途切れているが、これはこの場所が昔は沼地で城壁を築く必要がなかったためである。なお、この沼地は後述のヨーク城のためにフォス川をせき止めたことでできたもの。 ヨーク城(クリックで表示) ヨーク城南側、二つの川が合流する突端に近い部分にヨーク城がある。ウィリアム1世による制圧ののち典型的なモットアンドベイリー方式で築かれた。 現在のヨーク城である東岸側の城は1190年に火災で燃え落ち、迫害を避けて城内に逃れていた150人以上のユダヤ人が焼死した*4。 コメント |
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