フランシスコ修道会の創設者で、中世イタリア最大の聖人フランチェスコの生誕地として知られる城郭都市。 アッシジはローマの北方約130キロメートルにある都市で、古代ローマ時代にはアッシシウムと呼ばれ、現在も古代ローマ時代のミネルヴァ宮殿や闘技場が残っている。 市街地は丘陵に沿って東西に長く形成されており、これに伴って城壁も東西に長く築かれた。城壁は市街地西端のサン・フランチェスコ聖堂から山上まで伸び、その山上にはロッカ・マジョーレがそびえる。 ロッカ・マジョーレは「大きな城砦」という意味で、市街地中央部の背後に位置して街だけでなく丘陵下に広がる平野も一望でき、アッシジ防衛の中心だった。 城壁はロッカ・マジョーレから東に市街地の背後を守る形で丘陵を下り、東端にあるロッカ・ミノーレにつながる。ミノーレは「より小さい」という意味で、大城砦ロッカ・マジョーレに対する小城砦にあたる。
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イタリアでは十字軍運動に伴って11世紀に主に沿岸部で都市国家が発展し、内陸部でも叙任権闘争による神聖ローマ皇帝権の弱体化によりローマ教皇の勢力が増大、都市部での権力構造の変化が見られるようになった。 アッシジも都市国家として発展するようになり、教皇派(ゲルフ)と皇帝派(ギベリン)の対立においては皇帝派に属した。 しかし皇帝が任命した都市領主に対する不服従運動はアッシジでも起こり、1198年から1200年にかけての反乱でロッカ・マジョーレは破壊された。 その後アッシジは勢力を拡大したローマ教皇領の支配下に入り、1365年~1367年にかけてトレド大司教だった枢機卿アルボルノスによってロッカ・マジョーレやロッカ・ミノーレなどの城砦や城壁が再建された。 この時の城砦や城壁が現在も見られるものであり、城郭都市アッシジはロッカ・マジョーレなどの建造年代が明らかな城砦や城壁がほぼ完全に残り、古代ローマ時代以来の古都が現在まで存続している貴重な例となっている。 2000年には都市内の聖堂や修道院が「アッシジ、フランチェスコ聖堂と関連修道施設群」として世界遺産に登録され、2010年には日本城郭協会によって「城郭都市アッシジ」としてヨーロッパ100名城に選定された。
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