城塞都市カルタゴ のバックアップの現在との差分(No.2)
現実の城情報城塞都市カルタゴはチュニス近郊の半島の先にあった城塞都市で、フェニキア人の植民市に始まり、後には西地中海の大国カルタゴの首都、ローマ帝国アフリカ属州の州都、ヴァンダル王国の首都となった。 伝説によれば、紀元前9世紀末にフェニキア本土にある城塞都市テュロスの女王エリッサがこの地に亡命し、現地民から土地を借りて建てたと言われる。 伝説によれば、紀元前9世紀末にフェニキア本土にある城塞都市テュロスの女王エリッサがこの地に亡命し、現地民から土地を借りて建てたと言われる。 そしてアラリアの海戦などを通じてカルタゴが西地中海の覇権を握り、その首都として城塞都市カルタゴも栄華を極め強固な城壁を築いていたが、最終的には三度にわたるローマとのいわゆるポエニ戦争により、徹底的な破壊が行われた。 ローマに破壊されて100年後、アウグストゥスによりカルタゴは再建され、ローマ帝国のアフリカ属州の州都としてローマに次ぐ繁栄を極めた。 紀元後435年になると、ゲルマン諸部族の一派のヴァンダル族が街を占拠してヴァンダル王国の首都となり、その後は東ローマ帝国、ウマイヤ朝と主が変遷し、ウマイヤ朝の頃に近隣にチュニスが築かれると、カルタゴは放棄された。
西地中海の覇者の都カルタゴ(クリックで表示) カルタゴは、今のレバノン周辺を本拠地としていたフェニキア人達により築かれた数ある植民市の一つだった。 ローマに次ぐ第2の都市カルタゴ(クリックで表示) 第三次ポエニ戦争で徹底的に破壊されたカルタゴだが、その100年後にローマのカエサルにより再建が計画され、アウグストゥスにより実際に再建が行われ、ローマ帝国のアフリカ属州の州都となった。 ヴァンダルの都カルタゴ(クリックで表示) 439年、ヴァンダル族とアラン族の王ガイセリックによりカルタゴが占拠された。 参考資料(クリックで表示) 栗田伸子・佐藤育子『通商国家カルタゴ』講談社〈興亡の世界史〉、2009年 Wikipedia, Cartage, https://en.wikipedia.org/wiki/Carthage , 2020/5/2閲覧 Wikipedia, Carthage, https://en.wikipedia.org/wiki/Carthage , 2020/5/2閲覧 松谷健二 『ヴァンダル興亡史 地中海制覇の夢』 白水社、1995年 コメント |
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