国分城 のバックアップ(No.4)

現実の城情報 Edit

鹿児島県霧島市国分中央。
国分平野は古くは隼人の根拠地(本城)であり、ヤマト王権と独立/服属をめぐり争った。城はその当時から存在したと考えられており、曽於乃石城の名で八幡宇佐宮御託宣集に残されている。
721年に反乱が鎮圧されたのちは、国衙・国分寺などの国府機能がおかれ大隅国の中心地としての役割をはたした。

薩摩国守護大名・島津氏16代当主・島津義久。
義久は、かつての居城であった富隈城からこの地に移り住み、ここに中世屋形形式の新しい城を築き上げ、これを国分城と名付けた。
慶長9年(1604年)頃のことである。

所在地鹿児島県霧島市国分中央
現存状態石垣、堀
城郭構造中世屋形

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