蘆名氏の最盛期を築いた蘆名盛氏によって、永禄4年(1561年)から同11年(1568年)にかけて築かれた。会津盆地の四方を見渡す白鳳三山のうち、中央の羽黒山に向かう岩崎山に築かれ、東側は阿賀川が流れている。 盛氏の隠居城と伝わるが、蘆名氏の本城である黒川城の詰城としての役割も担っていたことが確認されている。 蘆名氏が伊達政宗に滅ぼされてからは政宗、蒲生氏郷、上杉景勝が会津の領主となり、向羽黒山城には盛氏以降の築城技術も見られることから、引き続き用いられたことがわかる。特に景勝は会津に入ると向羽黒山城の改修を真っ先に進めたという。 向羽黒山城は東北随一の規模を誇り、かつ技巧的な縄張が見られる東北では例外的な巨大山城で、平成13年(2001年)に国指定史跡となった。
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