古来より桜の名所として知られ、日本さくら名所100選にも選定された吉野山に築かれた山城。 元弘元年(1331年)に後醍醐天皇が笠置山城で挙兵し元弘の乱が起こると、これに呼応して河内国では楠木正成が下赤坂城で、大和国では後醍醐天皇の皇子である護良親王が吉野城で挙兵し幕府軍に対抗した。 吉野山には古くから山岳寺院が建てられ、その峻険な地形から天然の要害としての機能を備え、護良親王はさらに一の木戸・二の木戸・堀を築いて立て籠もった。 元弘3年(1333年)に吉野城は幕府軍によって落城し、護良親王は高野山へと逃れた。後に吉野山には京から逃れた後醍醐天皇が朝廷を開き、南北朝時代が始まることになる。
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