古曽根・芝谷 のバックアップの現在との差分(No.4)
現実の城情報大阪市高槻市美しが丘、そこは何件もの住宅が軒を連ねる閑静な住宅街。 この住宅街の造成工事の最中に、この遺跡は発見された。 古曽部・芝谷遺跡と呼ばれる遺跡である。 そこは標高80~100メートルの丘陵上、東西600メートル南北500メートルの範囲に100棟以上の住居が見つかり、その周囲には幅5メートルの濠が廻らされていた。 これは高地性環濠集落である。 高地性集落というものもあるが、これは居住ではなく山城のように軍事的な目的で造られたものだとされる。 ここに住んでいた人々は、外敵から逃れるために高地に移住し、そこで外敵の侵入を防ぐために周囲に壕を造ったと考えられる。 この集落が存在していたのは弥生時代とされ、同時に土器などが発掘されている。 そして、長き時を超え、再びこの地は多くの人々が生活を営む地となったのである。 100棟以上の住居跡が見つかった東西600メートル南北500メートルの範囲を幅5メートルの濠が廻る環濠集落であり、標高80~100メートルの丘陵上という高地性集落の性質も備える。 この集落が存在していたのは弥生時代とされ、発掘された土器や石器等から、安満遺跡との間に深い交流があったか、安満の住民が有事の際に用いる逃げ城、もしくは戦火を逃れての移住先であったと考えられる。 もし定住集落であったとしたら、この地は長き時を超えて再び多くの人々が生活を営む地となったことになる。
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