前田城 のバックアップ差分(No.1)

  • 追加された行はこの色です。
  • 削除された行はこの色です。
平城であり、前田利家の父・利昌の居城とされている。
前田利家を出した前田氏発祥の地とされる。前田氏は前田城を中心に荒子城、蟹江城、下之一色城などを支配していたが、1584年の小牧長久手の合戦の際に秀吉についたために織田・徳川連合軍に攻められ落城し、城主種利は蟹江城で討死したという。
前田利家はこの城で生まれてから荒子城へ移ったという説と、荒子城で生まれたという説がある。
天文十三年(1554)に荒子城が築かれたので一旦廃城になったが、天正十二年(1584)の小牧・長久手の戦いの時に前田興十郎種定が秀吉方に付いたため、織田・徳川連合軍に攻められ落城したとも言われている。
城址は速念寺となっていて、前田利家が寄進した阿弥陀如来が本尊とのことである。門の前には前田城址の碑があり、門にも前田城址の表札がある。本堂の左手には最後の城主・前田與十郎の墓があり、その近くには中部石川県人会の顕彰碑があり、その横に古い「前田古城跡」となんとか読みとれる城址碑がある。

所在地:名古屋市中川区前田西町一丁目




ホーム リロード   新規 下位ページ作成 コピー 編集 添付 一覧 最終更新 差分 バックアップ 検索   凍結 名前変更     最終更新のRSS