佐野城 のバックアップ(No.3)

現実の城情報 Edit

慶長7年(1602年)に佐野氏によって築かれ、別名を春日岡城・春日城・姥城という。


佐野氏は元々佐野の北部にある唐沢山城を拠点としていた。
佐野氏は北条氏から養子を迎えていたため、小田原征伐の際には滅亡の危機を迎えたが、豊臣秀吉に仕えていた佐野房綱が当主に就くことで断絶を免れた。
その後、房綱は豊臣氏近臣である富田氏から信吉を養子に迎えて家の安泰を図り、豊臣政権側も江戸城の徳川家康を牽制するために佐野氏を活用した。
ところが関ヶ原の戦いによって徳川政権が成立したことによって信吉の立場は微妙となった。


慶長7年(1602年)に佐野氏は徳川家康の意向を受けて、上杉謙信の攻撃をもしのいだ山城の唐沢山城を廃して麓に新規に佐野城を築城した。
唐沢山城の廃止理由としては、江戸大火展望説、山城禁令説、豊家縁故説などが出され明らかではないものの、徳川政権の本拠地である江戸の近くに、豊臣氏に近い大名が山城を持つことが徳川氏にとって不都合であったことが推定される。


城は東西約370m・南北約500mの規模を有し、城跡としては曲輪の跡や堀切・水掘・土塁などが残されている。
現在は佐野城山公園となっており、築城によって移転を命じられた惣宗寺は今日でも「佐野厄除け大師」の愛称で広く知られている。

所在地栃木県佐野市
現存状態曲輪跡、堀切、水堀、土塁
城郭構造連郭式平山城

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