1223年、富永朝祐によってこの城は築かれ、やがて富永氏は出羽姓を名乗り一大勢力を持つこととなる。 だが、1357年に高橋貞光による攻撃で二ツ山城は落城をする。 その後、高橋氏が二ツ山城の向かいの山に本城を築いて拠点としたため、高橋氏を亡ぼした後、毛利元就が石見進出の拠点とするまでの間この城は放置されていたという。
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