貞治5年(1366年)頃、吉良成高によって築城されたとされる城。 以来、吉良家の居城とされていたが、小田原の役で北条氏が没落、吉良氏は戦わずして城を放棄し、世田谷城は接収・廃城になった。 廃材の一部は江戸城築城の際に流用されたという。 後に城主となる成高の息子・吉良頼康と、側室であったとされる常盤姫との間に、いくつかの逸話があることで有名。 現在は遺構の一部が世田谷区唯一の歴史公園「世田谷城址公園」として整備され、世田谷百景の一つとしても選ばれている。主要部は現在の豪徳寺にあったとされる。
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