上月城 のバックアップの現在との差分(No.1)

現実の城情報 Edit

上月城(こうづきじょう)は尼子再興軍終焉の城として知られる山城である。
山頂部の主郭の周りに曲輪が配され、尾根筋には平場を区切る堀切や竪堀が見られるなど、典型的な中世山城のたたずまいが見られる。
播磨赤松氏の一族とされる上月景盛が1336(延元元)年に築いたとされ、上月氏の居城となった。
当時赤松氏は足利尊氏に属しており、備前・美作との国境に近い上月城は西の守りを担う城としての位置づけがあったものと考えられる。
1441(嘉吉元)年に赤松満祐が将軍足利義教を殺害する嘉吉の乱が起こると、上月城も幕府の追討軍の攻撃を受け落城、上月氏嫡流は滅亡した。


所在地兵庫県佐用郡佐用町上月
現存状態土塁・堀切等
城郭構造山城

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