上京会寧府 のバックアップの現在との差分(No.2)

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女真族の一部族、按出虎水完顔氏の王朝である金における初期の首都となった、女真系城郭で最大の規模を誇る城郭都市。
1115年金を建国した阿骨打は按出虎水(現在の阿什河)流域の会寧州を首都とし、その病没後は弟の呉乞買(太宗)が後を継ぎ、会寧州は会寧府と改められ1124年に都城の建設が始まった。
会寧府は契丹や中国の城郭都市の特徴を引き継いだ構造となっており、南北2つの方形城が鍵手状に結合し、南北約3.3キロメートル、東西約2.1キロメートル、全周は約11キロメートルにおよぶ。外壁は高さ約5メートル、基底幅約10メートルで80~130メートルの間隔で90基の突出部が設けられ、周囲には按出虎水を利用した水堀がめぐり、北城と南城は城壁で分けられ九ヶ所に門が置かれた。
北と南の二城制度は契丹の上京などから影響を受けたとされ、南城の西北部に皇城が置かれ、その周囲には官庁や寺院なども置かれ、会寧府は軍事基地であるとともに政治・経済・宗教の中心地としても機能していた。
金の地域区分設定によって按出虎水流域一帯が上京路となったのに伴い、会寧府は1138年に上京会寧府と改められ、1152年に中都(燕京から改称、現在の北京)に遷都した後には会寧府に戻されたが、1173年に再び上京会寧府となり、金の滅亡まで上京路の中心都市であり続けた。
金の地域区分設定によって按出虎水流域一帯が上京路となったのに伴い、会寧府は1138年に上京会寧府と改められ、1152年に中都(燕京から改称、現在の[[北京>北京城]])に遷都した後には会寧府に戻されたが、1173年に再び上京会寧府となり、金の滅亡まで上京路の中心都市であり続けた。

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|所在地|中国、黒竜江省ハルビン市阿城区南白城|
|現存状態|城壁、堀、宮殿跡、門跡など|
|城郭構造|都城|
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