七飯台場(ななえだいば)は、箱館戦争のときに榎本武揚ら旧幕府軍が、フランス人士官のジュール・ブリュネの指導のもと、短期間で造成したとされる台場。 正式名称は峠下台場(とうげしただいば)。別名は稜堡を七つ持つことから、七稜郭(しちりょうかく)。 現在の七飯町と大沼公園の間にある山の山頂(標高349m)に築かれた西洋式城塞で、明治元年(1868年または1969年)11月に、雪の降りしきる中3日で急造されたといわれている。 森(現在の森町)と峠下(現在の七飯町峠下)を結ぶ街道を抑え、森から箱館(現在の函館市)までを眺望した。
昭和48年(1973年)に七飯町歴史館の元館長であった人物が台場跡を再発見し、土塁の痕跡などが現在でも確認できる。ただし、台場として実際に砲台が置かれたという記録は見つかっていない。
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