イギリス王室属領ガーンジー島の東海岸沿いの高台、英仏海峡とセントサンプソン港を眼下に見る位置にある城。ヴェイル城とも。 城の立つ位置には紀元前5世紀ころの土塁が見つかっているが、城が築かれたのは10世紀の後半。 ノルマンディ公国がガーンジー島を占領した後、海賊や敵対勢力による海からの攻撃に対抗して築城された。 築城以来長く島の防衛拠点として使われ続け、時代によって改築され続けて第二次大戦でもドイツ軍の沿岸砲台として用いられた。
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#style(class=submenu){{ #spanend 中世以降チャネル諸島は英仏間の最前線で、英仏百年戦争の初期1338年にはフランス軍によって2年近くにわたり占領された。 1372年にもフランスの支援を受けたウェールズ王位請求者オワイン・アプ・トマスの攻撃を受けている。 攻撃に対抗するようにさらに14世紀末から15世紀ころにかけて城壁と城門塔が増築され拡大強化されていった。 17世紀イングランド内戦にあたってはガーンジー島は議会派を支持し、島内で唯一王党派が集結・籠城したコルネット城に対してヴェール城は議会派の拠点となった。 #br その後も改築が続けられ、アメリカ独立戦争やフランス革命戦争などフランスとの関係が悪化するたびに守備兵と砲が配置された。 第一次大戦でも民兵による守備隊が編成されて城内に宿舎を設けて宿営していた。 第二次大戦ではチャネル諸島の他の城のようにドイツのトート機関によって大西洋の壁の一部として要塞化され、機関銃・迫撃砲・サーチライトなどを装備した陣地と塹壕が建設された。 現在は城壁とドイツ軍によって建造された陣地の一部が残っている。 #spandel
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