ヴァンセンヌ城(城塞)は14世紀最大級の王宮で、アヴィニョンの教皇宮殿に匹敵する規模であった。これを上回るのはクーシー城のみである。 キープを囲む城壁にはプリンス(城壁下の爪先)と連続したマシクーリ(石落とし)があり、各隅部にはバルチザン(監視哨となる小塔)か監視塔があった。 独自の塀で囲われたバービカン*1が王の区画への入り口がある2棟の大規模城塔を守っていた。 ヴァンセンヌ城は百年戦争の多くの事件の舞台となった城で、イングランド王ヘンリー5世はフランス王との停戦協定に合意したのちの1422年、この地で崩御している。 1430年にイングランド軍によって再度占領されてイングランド王ヘンリー6世の居館となったが、1432年にはフランス軍によって再攻略された。城塞はやがて牢獄に転用されたものの、フランス王により修復され再び要塞として返り咲いた。
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中世軍事建築であり王城であるヴァンセンヌ城はフランスの最重要拠点の一つであった。元々は12世紀にパリはヴァンセンヌの森にフランス王の小さな狩猟館として佇んでいた。 13世紀にルイ9世がキープを、フィリップ4世(美王)が中庭を増設したと伝えられる。フィリップ6世は従来のキープの約50メートル西側に現在の大キープを建設した*2。 高さ66メートルの大キープは5層構成で4棟の円形平面の隅部城塔があり、良好に防備された入り口を備えていた。シャルル5世はこのキープとその周りの広大な区域をアンサント(城壁)で囲んだ。 アンサントには9棟の長方形平面の城塔が聳え、そのうち4棟が隅部城塔、3棟には入り口が設けられた。
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