モンマス城 のバックアップの現在との差分(No.1)
現実の城情報ワイ川とその支流モノウ川に挟まれたかつてのイングランドとウェールズの国境の町モンマスの城。 続きをクリックで表示 征服王ウィリアム1世はフィッツオズバーンなど側近三人にそれぞれ半自治を認めた辺境領を与え、それぞれ独自にウェールズを攻めさせた。 13世紀に王家の傍流であるランカスター家が城主となり、モンマス地方における居城として大改装を行う。大広間やキープの上部に窓をつける*2などした。 ウェールズ辺境領が16世紀に廃止され自治領となると城のキープは法廷として使われるようになり、巡回判事が定期的に裁判を行った。 ウェールズ辺境領が16世紀に廃止され自治領となると城は法廷として使われるようになり、巡回判事が定期的に裁判を行った。 17世紀中盤の内戦時代、モンマス城は三度持ち主を入れ替えるほどの議会派と王党派の激戦区の一つとなった。 落城の後1648年に城を訪れたクロムウェルの指令により破却が命じられ、軍事利用に耐えられないように主要部分が破壊された。 現在城内に建つ城館、通称グレート・カッスル・ハウスは自治領の首長*3に任じられたウースター侯ヘンリー・サマセットが儀礼・執務用の居館として1673年に建てたもの。破却された元のモンマス城の石材を資材として使っている。
モノウ橋(続きをクリックで表示) モノウ橋中世、街道上の橋はしばしば防御設備を備えて小要塞化された。関所であり税関でありまた軍事拠点にもなった。塔や胸壁を持つものも少なくない。 モンマスの町の西側、モノウ川にかかるこの橋は現在に残るその数少ない、特にイギリス国内においては唯一現存するものである。 13世紀後半にその前にあった木造橋を架け替えて石造橋が作られ、その数年後に門楼が追加設置された。門楼には時期は不明だがおそらく14世紀に石落としが追加され、18世紀までは門楼内に門番が常駐していた。 この橋で徴収された通行税は橋とモンマスの市壁の建設・維持に使われ、町から西側への唯一の橋として維持管理が続けられた。 橋はいつしかモンマスの町のシンボルとなり、19世紀末から20世紀初頭に最初の保存計画が実行された。その後も様々な施策がなされて現在に至る。 これほど古い橋でありながら1965年のバイパス建設までは町のメインストリートであり、なんと2004年までは自動車も通行できた。現在はさすがに歩行者専用となっている。 コメント |
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