メスペルブルン城 のバックアップ差分(No.2)

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森の真珠と称され、シュッペサルトの池に浮かぶ城である。
森の真珠と称され、シュペッサルトの森の池に浮かぶ城である。
始まりは1412年、選帝侯マインツ大司教に仕える騎士ハーマン・エヒターがこの地を与えられ池の畔に館を建てたが、
1427年、盗賊やフス派、凶暴な獣たちから館を守るため、城館の建築を着工し翌代に完成した。
初期は中央の円塔と石壁でできた、モットー・アンド・ベイリー様式だったが、1551年~1569年にかけてルネッサンス様式へと改築された。

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1618年から始まった30年戦争で、マインツ大司教に仕えるエヒター家は神聖ローマ帝国として加わったが、新教徒勢力側に敗れてしまった。
疫病も重なったこともあり男子の血統が絶えてしまい、残った女子マリアは、同じマインツ大司教に仕える騎士インゲルハイムのフィリップと結婚すると、
皇帝はエヒター家の功績を認め、2家の紋章と家名を統合し、
家名を「エヒター家の始まりからメスペルブルンの(エヒター家の終わりまで)間、インゲルハイム伯爵家と呼ばれる」とした。
意訳すると「メスペルブルン(エヒター家の)インゲルハイム伯爵」となる。日本でいうと尾張徳川家や紀州徳川家のようなもの。
これ以降はナポレオンの侵攻・第一次・第二次世界大戦といった大きな戦争も、深い森に囲まれていたお陰で傷つく事無く生き残り、
16世紀のルネッサンス様式を残す城として今日、姿を残している。
現在もインゲルハイム家が居住しており、2Fより上は入城できない。ちなみに先代の当主アルブレヒトはメスペルブルン町の町長だった。
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|所在地|ドイツ・バイエルン州・ウンターフランケン行政区・アシャッフェンブルク郡・メスペルブルン|
|現存状態|現存|
|城郭構造|ルネッサンス様式水城|

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