マチュピチュ のバックアップの現在との差分(No.2)

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*現実の城情報 [#information]

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ペルーのクスコ地方を中心として13世紀ごろに誕生したインカ帝国を代表する遺跡のひとつで、そのほかにも同じような遺跡はプカラ、クスコ、プカプカラ、サクサイ・ワマン、エスピリット・パンパなどがある。
遺跡はほとんどを森林に囲まれたマチュピチュ峰と、岩山のワイナピチュ峰に挟まれた岩棚に築かれていた。時折谷底から霧が立ち込めて周りの風景を包み込んで、さも浮いているように見えることから「天空の城」とも言われる。
マチュピチュとはケチュア語で「老いた峰」の意味があり、他方のワイナピチュは「若い峰」の意味がある。15世紀に入ってから急速に勢力を拡大したインカ帝国は現コロンビア南部、チリ、アルゼンチンにまで領土を拡げた。
その中でもマチュピチュは広大な都市で、中央広場、皇帝の館、皇女の館、太陽の神殿、コンドルの神殿のほかインカ道の近くには見張りの棟(特別な儀式に使っていたという仮説もある)があり、階段畑の横には警備役人や農夫の館があったという。
しかし、高度な発展を遂げたインカ帝国も1533年にスペイン人のコンキスタドール(征服者)たちが攻め入り、当時の皇帝アタワルパが北ペルーのカハマルカでキリスト教への改宗を強制されたあと絞首刑に処され、事実上滅亡してしまう。

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|所在地|マチュピチュ、アグアス・カリエンテス、ペルー|
|現存状態|遺跡|
|城郭構造|都市|

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&color(White,Maroon){主な設備(クリックで表示)};
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***主な設備 [#e624fa55]
''大塔''
軍事塔とも呼ばれる大塔は最重要所であり、大宮殿といわれる区画にそびえる建設物である。馬蹄型をした塔は、完璧な精度で切り出された切り石を使いモルタルなどの接着剤を使わずに建てられていた。採光用の窓もあった。
各層の厚さは上に行くほど薄くなっており、緩やかに傾斜を描く。内部には彫刻が施された大きな石が確認されている。天体観測か太陽崇拝に用いられていたと考えられる。

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''霊廟''
塔の下部に洞窟上に設けられた施設で、インカ帝国が残した建物の中でも一際風変りな遺物とされている。薄暗い霊廟内部には美しい化粧板が張られ、一枚板で作られた玉座が備え付けられていた。
ただ、この玉座が実際どのように使用されていたかは全くの不明で、先祖の霊を祀ったもの、皇帝が葬られている、ミイラの安置所などいくつかの仮説は出ているが推測の域を脱しない状況が続いている。

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''三つ窓の神殿''
神殿区域は本神殿の横に三窓の神殿と呼ばれる建造物があり、本神殿とともにマチュピチュの最も重要な聖域のひとつだった。巨大な切り石を積み上げた建物には名前の由来となった三つの穴が開けられている。
この窓のつくりはインカ王朝の始祖が誕生したとされる洞窟に因んで創作されたという。

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''コンドルの神殿''
太陽の化身とされるコンドルを祭った神殿で、地面に置かれたコンドルのレリーフの背後には二つの翼を思わせる岩石が立ち並んでおり、神秘めいた雰囲気を漂わせている。
一説ではコンドルの神殿の北側には「拷問の場」もしくは「牢獄の広場」と呼ばれる施設があり、生贄になった人々の霊魂を太陽のもとに運ぶために建てられたのではないかと言われている。

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*コメント [#comment]
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