ホーエンツォレルン城 のバックアップ差分(No.2)

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*現実の城情報 [#information]

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ドイツ帝国の皇帝家となったホーエンツォレルン家発祥の地に築かれた城で、「天空の城」としても知られ、[[ノイシュヴァンシュタイン城]]・エルツ城とともに「ドイツ三大美城」に数えられる。
創建は11世紀初頭、海抜855メートルの山頂に築かれ、当時はツォレルン家と名乗っていた家系の居城として用いられていた。
ツォレルン家はフリードリヒ1世の代でフランケン系とシュヴァーベン系に分かれ、このうちフランケン系は支流出身のアルブレヒトが[[ドイツ騎士団国>マルボルク城]]を世俗化してプロイセン公国とし、これがドイツ帝国につながることになる。
一方でシュヴァーベン系は引き続きツォレルン城を居城とし、14世紀に家名がホーエンツォレルン家に変わったことで城名もホーエンツォレルン城となった。

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シュヴァーベンはカール4世によって1376年にシュヴァーベン都市同盟が承認されるなど、都市の力が強い地域だった。
諸都市は利益の保持のために激しく争い、ホーエンツォレルン城は1423年に諸都市の軍勢に10ヶ月に渡って包囲され落城、城は破壊された。
ホーエンツォレルン城は1454~1461年にかけて再建され、その頃シュヴァーベンではヴュルテンベルク公国が成立し、シュヴァーベン公国を継承して支配を進めるようになったが、1634年、三十年戦争でのネルトリンゲンの戦い後にシュヴァーベンは皇帝軍に占拠され、ホーエンツォレルン城はハプスブルク家が所有することとなった。
その後オーストリア継承戦争の際にフランスが占拠し、戦後ハプスブルク家の手に戻ったものの、1798年以降は使用されなくなり荒廃していった。
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現在の城は、のちにプロイセン王となるフリードリヒ・ヴィルヘルム4世が王太子だった時代、先祖の地であるホーエンツォレルン城を訪れ、その荒廃ぶりを嘆いて再建を決めたことに始まる。
のちにノイシュヴァンシュタイン城を築いたバイエルン王ルートヴィヒ2世と同じく、中世騎士の城に憧れたフリードリヒ・ヴィルヘルムはロワール渓谷の古城も参考にして城の設計を行い、彼の死後の1867年、ウィルヘルム1世の時代に完成した。
のちにノイシュヴァンシュタイン城を築いたバイエルン王ルートヴィヒ2世と同じく、中世騎士の城に憧れたフリードリヒ・ヴィルヘルムはロワール渓谷の古城も参考にして城の設計を行い、彼の死後の1867年、ヴィルヘルム1世の時代に完成した。
ホーエンツォレルン城はホーエンツォレルン家の名声を誇示するための記念碑的なものであったため居住されることはほとんどなく、現在もドイツ帝国最後の皇帝ヴィルヘルム2世の子孫が管理し、ホーエンツォレルン家の宝物が展示されている。

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|所在地|ドイツ、バーデン=ヴュルテンベルク州テュービンゲン行政管区ツォレルン・アルプ郡ヘヒンゲン|
|現存状態|現存|
|城郭構造|山城|
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