ホーエンシュヴァンガウ城 のバックアップ差分(No.1)

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*現実の城情報 [#information]
姉妹城の[[ノイシュヴァンシュタイン城]]から西南西に約1km、向かい側の尾根の標高約850mに建つ城である。
文書での初見は1090年で、この地を治めていたヴェルフェン家によってノイシュヴァンシュタイン城(当時はヒンターシュバンガウ城)と共に築城された。
初名はフォーダーシュヴァンガウ城で、近くの湖に住んでいる白鳥に因みシュヴァンガウ(Schwan(白鳥) gau(地区・里))と名付けられた。フォーダー(vorder)は「前」、ヒンター(Hinter)は「後ろ」。
白鳥は中世ヨーロッパではワシと並び「王の鳥」と称され、平民が狩るのを禁止されていた程である。ちなみに住んでいたのは日本で見られる嘴が黄色いオオハクチョウではなく、嘴がオレンジ色のコブハクチョウ。

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1191年ヴェルフェン家のヴェルフ6世が子を残さずに死去すると、妹が嫁いでいたホーエンシュタウフェン家の手に渡った。
その息子が神聖ローマ帝国皇帝となると、城に残っていたヴェルフェン家の傍系と家臣団は帝国直参として召し抱えられた。
1397年の文書では「シュヴァンシュタイン城」と見え、恐らくこの間にゴシック様式にて改築されたと想定されている。
1536年ヴェルフェン家が断絶すると帝国貴族に登用された商人が買い取り再建し居城((貴族になると城を持つ必要がある))としたが、死後息子たちはヴェルフェン家の姻戚である、バイエルン公のヴィッテルスバッハ家へ売却した。
その後は狩猟城として使用されていたが、30年戦争・ナポレオン戦争で度々傷つき放置されていった。
1820年地元市民へ売却されたが活用される事はなく、このまま終わるかに思われた。
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ところが1829年転機がやって来る。偶々この地を訪れたバイエルン王マクシミリアン2世は見事な景色に感激し、直ぐさま一帯を購入。
城名をシュヴァンシュタイン城からホーエンシュヴァンガウ城へと改め、ネオゴシック様式で再建し1855年完成した。
復活した城は王室の夏の離宮として活用され、息子のルートヴィヒ2世もこの城を大事にしており、バイエルン王国の首都であるミュンヘンよりホーエンシュヴァンガウ城を居城としていた。
また、ここから眺められる地に理想の城、ノイホーエンシュヴァンガウ城を建てている。
ノイシュヴァンシュタイン城の名は、ルートヴィヒ2世の死後付けられたもので、生前は「ノイ(Neue/新)ホーエンシュヴァンガウ城」と呼ばれていた。
ルートヴィヒ2世死後は母が、その後は叔父が住居として使用し、バイエルン国王の財産の1つとなった。
現在は一部開放され博物館となっているが、ヴィッテルスバッハ家当主が今も夏の離宮として使用している。

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|所在地|ドイツ バイエルン州 シュヴァーベン行政管区 オストアルゴイ郡 シュヴァンガウ|
|現存状態|現存|
|城郭構造|ネオゴシック様式山城|

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