ペヴェンジー城 のバックアップの現在との差分(No.2)

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*現実の城情報 [#information]
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イギリス南部のイーストサセックス州、海峡に面するペヴェンジーに建つ城。イングランド史にとって重要な城の一つである。
現在では海岸線から内陸に離れているが、かつては城の直下まで海が迫っていた。防衛の要地のひとつとして重要視され、何度もの攻防戦が繰り広げられた。
ローマ帝国によって築かれたローマン・フォートの跡地に1066年に築城され、第二次大戦でも防衛陣地として使用された。
現在でも外側の城壁はローマ時代のものが改修されて使われている。イングリッシュ・ヘリテイジによる管理下に置かれている。

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3世紀末、激化するサクソン海賊の襲撃に対抗するためにアンデリトゥム(Anderitum)の名で呼ばれたローマン・フォートが築かれた。
その後ローマ帝国がブリテン島を離れると、サクソン人による侵入の初期には城砦として利用されたもののその後遺棄され荒れるままに任された。
1066年9月28日、ノルマンディー公ギョームこと征服王ウィリアム1世はここペヴェンジーに上陸してローマンフォートの内側に宿営地を築いた。
さらにその報を聞いて急行してきたハロルド王をヘイスティングスの近郊にて撃破し、ロンドンに進軍してイングランド王に即位する。
ウィリアム1世の即位後ペヴェンジー城周辺の領地は王の異父弟モルタン伯ロベールに与えられ、彼によって宿営地から城へと作りかえられた。
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ウィリアム1世の死後、長男ロベール2世と次男ウィリアム2世の間で王位を巡る争いが起きる。
モルタン伯はロベール2世を支持したためウィリアム2世軍によって包囲された。城の守りが堅かったため兵糧攻めが行われ、6週間後に開城した。
モルタン伯はそのまま居住を許されたが、彼の息子がヘンリー1世に反乱を起こすと没収されて王家の城となり、海岸防衛のために改築される。
スティーブン王の時代には反乱を起こした城主ペンブルック伯ギルバートを攻めたがやはり力攻めでは落とせず兵糧攻めにして開城させている。
12世紀初期には石造のキープが存在した記録があるが、12世紀の末の改修によって新しい石造キープに建替えられた。城壁も改修を受けて積み増された。
1246年にはヘンリー3世からリッチモンド伯に下賜され、主郭部分の城壁が木製から防御塔を備えた石造城壁に建替えられた。
改築の直後にシモン・ド・モンフォールの第2次バロン戦争が起きる。ルイスの戦いで国王軍が敗れた後、ペヴェンジー城も包囲される。
この時も兵糧攻めが開始されたが、海路で物資と兵を補給できたために1年余り落城せずに持ちこたえ、ついに反乱軍は包囲を解いて退いた。この時の攻防戦で南側の城壁が失われている。
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以後1世紀以上放置された後、14世紀末になって再び歴史の表舞台に返り咲く。
ランカスター公ジョン・オブ・ゴーントは守備兵を城に置き、城代ジョン・ペラム卿を配してフランスに対する防備を固めた。
公の死後、公の息子ヘンリー・ボリングブルック、後のヘンリー4世が王に対して反旗を翻すと、ペラムは城をヘンリーに献上して支援した。
ヘンリー4世が王に即位してランカスター朝を開くと、この功績によってペラムは城と領地をそのまま与えられた。
城はヘンリー4世の妃ジョウンや捕虜となったスコットランド王子ジェームズ(のちのジェームズ1世)など高位王侯貴族の幽閉先としても用いられた。
チューダー朝のころには放置されていたが、16世紀のアルマダ海戦に備えて再び武装化された。
また前述のとおり第二次大戦でもトーチカ、機関銃、対戦車砲などを備えた防御陣地となった。このとき城の廃墟に偽装して築かれた陣地や砲門が現存している。

***城郭構造
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|所在地|イングランド、イースト・サセックス、ペヴェンジー|
|現存状態|城壁、城塔|
|城郭構造|囲郭式城郭|
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***城郭構造 [#i93fc4af]
[[ポートチェスター城]]と同様、元のローマンフォートの一角を主郭として城壁と堀で囲み、主郭の中に城門塔を持つ矩形キープを築いた形式。
外城壁はローマ時代のものを改修して使っているため、時代ごとに積み方などが異なる様子が観察できる。
ローマン・フォート(カストラ)は長方形あるいは正方形のものがほとんどであるが、ペヴェンジー城(アンデリトゥム)の場合は楕円に近い形になっているのが特徴的である。

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|所在地|イングランド、イースト・サセックス、ペヴェンジー|
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|城郭構造|囲郭式城郭|
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*コメント [#comment]
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