ペリショール城 のバックアップソース(No.2)
*現実の城情報 [#information]
[[第三回名城番付]]にて、シュテファンにより言及された城の一つ。
[[ブラン城]]、[[ペレシュ城]]、[[城塞都市ルシュノフ]]、[[フニャド城>コルヴィネシティロル城]]と共に吸血鬼の城とされている。
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[[ペレシュ城]]から西に約200m程の所にある[[レーヴェンブルク城]]のような附属城である。ルーマニア語ではペリショルの方が近い。
始まりは1899年、ルーマニア国王カロル1世が息子夫婦に贈った夏の離宮で、外観は中世ドイツ風を模し1902年完成した。
内装は息子の嫁マリアが取り仕切り、中世的な外見とは別に比較的女性的な雰囲気に包まれている。
初期の1902年からの内装は彼女の故郷スコットランド風+アールヌーボー調であったが、1925年からの内装はルーマニア風へとなっている。
これは彼女の性格に大きく関与している。
//編集前に[[テンプレート/城娘]]の「現実の城情報」をご確認ください。(このコメントは必ず残してください。他のコメントは不要なら削除していいです)
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マリアはスコットランドの[[エディンバラ家>エディンバラ城]]出身で、恋人がいたが政略結婚のため無理やり離された。
そのため義父のカロル1世と仲が悪く、夏の離宮での生活でも同居するのがイヤでペリショール城を建てたのであった。
では夫との仲が良いかというとそうではなく、6人子供が産まれたがそのうち4人は別々の愛人との間にできた子供である。
しかも生まれた時期を見るとどうも、夫が国王となり公的な離宮であるペレシュ城に移り、彼女がこの城に1人でいる間できたようである。
彼女はかなりの精力的な人で、義父との仲の悪さは同族嫌悪のようなもので、夫はその逆で気が弱くそれが気に入らなかったようである。
ルーマニアの第一次世界大戦関与や大ルーマニア構想等、彼女の気の強さが関わっており、夫の死後息子が国王となると裏で権力を握っていた。
このため、前半生のスコットランド気質とは打って変わり、熱烈なルーマニア愛に目覚めたため、前期と後期で内装が異なっている。
ちなみに、大ルーマニア達成を祝して[[ブラン城]]が彼女に献上され、こちらの内装も彼女が手掛けている。
あとは、社会主義国家となり没収→閉鎖→返還→委託→公開とペレシュ城と同じ運命を辿っている。
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『地球の歩き方 ブルガリア ルーマニア』に「カロル1世の狩猟用の城」とあるが誤り。
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|所在地|ルーマニア プラホヴァ県 シナイア|
|現存状態|現存|
|城郭構造|ルネサンス式山城|

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*コメント [#comment]
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