プラッセンブルク城 のバックアップソース(No.1)
南ドイツのクルムバッハにある「[[白い夫人>シュノンソー城]]」伝説の原点となった城である。ちなみにドイツ語ではPlassenburgだが、元はプラッテンベルグ:Platten(平な)berg(山)が変化したものである。
始まりは、1135年頃アンデックス家のベルトルト2世がこの地を獲得し城を築いたことによる。
1231年、クルムバッハが都市権を取得した事と、オットー1世の妻が亡くなり息子に地位を譲り隠居城として大幅に増築された。
その後オルラミュンデ家に移り、1340年オットー6世が死去すると妻のクニグンデに相続された。
彼女は、ホーエンツォレルン家でヨハン2世ニュルンベルク城伯の弟「美貌のアルブレヒト」に一目惚れをし再婚を申し込んだが、
「2対の眼が邪魔をする」という手紙を送ってきた。

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彼女には息子と娘がいて、それが「2対の眼」だと思い再婚を望む彼女は子供たちを殺してしまう。
病死したと偽りもう一度再婚を申し込むと、彼はこう言った「2対の眼の正体は私の両親です。両親の許可が得られないので不可能です。」
貴族は日本の武家と同じく家の格を大事にし、自由に結婚ができなかった。しかも成人しても縛られる事が多々あったのである。
勘違いで子どもを殺してしまったクニグンデはショックを受け、ローマへ巡教の旅へ行き教皇から赦しを貰い、修道院を建て懺悔の日々を送ったと云われる。
それは死後も続きプラッセンブルクへ舞い戻り「白い夫人」として彷徨い、さらにアルブレヒトを求め[[ホーエンツォレルン家>ホーエンツォレルン城]]の城々、全てに現れるようになった。
この伝説がヨーロッパ各地に広まり、「白い夫人」は城に出る幽霊の元となったのである。
&color(Silver){と、ここまで書いておきながら、実際は夫のオットー6世がヨハン2世に借金をしていたが、夫が亡くなり借金を返せなくなったことによりプラッセンブルク城をヨハン2世売却したのが真相である。};
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1370年、ヨハン2世の子フリードリヒ5世はホーエンツォレルン家の格を上げるため城の改築を行った。
1415年、その子フリードリヒ1世はルクセンブルク家の神聖ローマ皇帝ジギスムントに功績を認められ、辺境伯とルクセンブルク家が持っていた選帝侯の地位を受けた。
この地位のお陰で、後年ホーエンツォレルン家のドイツ皇帝への道が開けることとなった。
1530年、フリードリヒ1世のひ孫ゲオルクはプロテスタントとカトリックの宗教争いが激しくなると、防衛のため砲塔を築造したが、
跡を継いだ甥のアルブレヒト・アルキビアデスが起こした第二次辺境伯戦争にて、1553年11月から翌年6月まで続いた7ヶ月の籠城戦後、城は跡形もなく破壊されてしまった。
最初はアルブレヒト・アルキビアデスとニュルンベルク帝国都市との戦いだったが、アルブレヒト・アルキビアデスは好戦伯と称される程の戦好きで、ニュルンベルク都市側の領土を荒らしまくった。
途中から宗教戦争の割合が強くなった後も同様であったため、諸侯から恨みを買い報復に「城下町のクルムバッハの男性は一人も残さず殺せ」という命を出されている。
またこの戦いの最中、敵側の指揮官だった[[モーリッツブルク城]]を築城したザクセン大公が戦死している。
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戦後アルブレヒト・アルキビアデスが追放され跡を継いだのが、ゲオルクの息子ゲオルク・フリードリヒだった。
彼は行政・財政・政治能力に長け、プラッセンブルク城やクルムバッハの再建にも取り組み、1559~69年にかけて再築された城はドイツを代表するほどのルネサンス様式の城となった。
しかしゲオルク・フリードリヒが跡継ぎを残さずに死去すると、本家からやってきたクリスティアンはバイロイトに居城を移してしまい政治的重要性を失ってしまった。
1782~84年にかけて、プロイセン常備軍強化のためバロック式の兵舎が建てられた。
1792年、カール・アレクサンダーは財政再建の一環として、又従弟のフリードリヒ・ヴィルヘルム2世プロイセン王に城を売却した。
1806年、ナポレオン戦争の第四次対仏大同盟にてフランス軍に敗れ城を占領され、防御用施設・城壁等が破壊され要塞としての機能を失った。また城もプロイセン王国からバイエルン王国へと所有権が移った。
1810年、フランスの捕虜収容所・軍事病院になり軍事刑務所も追加され、1928年まで使われ続けた。翌年「バイエルン州政府 城郭・庭園及び湖沼管理部局」へ移り「ドイツ錫人形博物館」が開かれると、
「オーバーマイン地方博物館」・「フリードリヒ大王軍事博物館」・「フランケン地方のホーエンツォレルン家博物館」もオープンし現在4つの博物館が開いてる。
特に錫人形博物館は著名で30万以上という世界一位の所蔵量と世界最大の錫人形のジオラマがある。

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|所在地|ドイツ、バイエルン州、オーバーフランケン行政管区、クルムバッハ|
|現存状態|現存|
|城郭構造|ルネサンス式山城|

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