フレデリクスボー城 のバックアップ差分(No.1)

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*現実の城情報 [#information]

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デンマーク随一の歴史と伝統を持つ歴代国王の居城で、スカンディナヴィア最大のルネサンス様式の宮殿。
デンマークの首都コペンハーゲンから北に約30キロメートルに位置するヒレレズに築かれ、パラス湖の3つの島を城域とする。
城の起源は1560年、デンマーク王フレデリク2世によるもので、自信の名を冠して城名をフレデリクスボーとした。フレデリクは1580年に増築したが、この時代の建築物は現在は一部のみ残されている。
現在のフレデリクスボー城の大部分を築いたのが、スウェーデン王グスタフ・アドルフとの戦いや三十年戦争への介入などで知られるデンマーク王クリスチャン4世で、1577年にフレデリクスボー城で産まれた。
クリスチャンは1602年にそれまでの城郭を取り壊し、オランダ人の建築家ハンス・ファン・シュテーヴィンケルとロレンツ・ファン・シュテーヴィンケルに命じて新たに豪華絢爛な宮殿を建設した。

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フレデリクスボー城は3つの島を人工的に整形して構成されており、主要部は国王が居住した方形の島と、これをL字型に囲む島となる。
城の南側の陸地から1つ目の島を渡った先にあるのがL字型の島で、巨大な塔門を通って入ることになる。島の内部には中庭があり、その中心の大噴水はネプチューンの彫像が立っていることからネプチューンの噴水と呼ばれる。
ただしネプチューン像は北方戦争中の1659年にスウェーデンがストックホルムに持ち去り、現在はドロットニングホルム宮殿の庭園に置かれており、フレデリクスボー城のものは模造品となる。
L字型の島から石橋を渡って入る方形の島がフレデリクスボー城の中心部で、島全体が城となっている。島は東・西・北を翼棟が占め、入り口にあたる南には装飾壁が設けられ、その中央部に門がある。
3つの翼棟のうち西側が教会棟で、下階が礼拝堂、上階は大ホールとなっていて現在も天井などの室内装飾がよく残っており、「勲位のチャペル」と呼ばれている。
教会棟の反対側にはプリンセス・ウイング(王女の館)と呼ばれる翼棟があり、その名の通り王女に関係する部屋がある。
北側の翼棟がキングス・ウイング(王の館)で、王の居室をはじめ重要な部屋が設けられており、フレデリクスボー城の最重要区画となっている。
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このようなクリスチャン4世によって建設されたフレデリクスボー城の新たな建築物群は1620年に完成し、以後クリスチャンだけでなく歴代デンマーク王の居城として重視され、特に1671年から1840年にかけては城内の礼拝堂で戴冠式が行われた。
しかしフレデリクスボー城は1859年に火災に見舞われ、内装の多くが焼失してしまった。礼拝堂は火災から免れ、また城の建物自体は煉瓦造りであったためそのまま残り、復旧工事はその後間もなく開始された。
復旧が終わった後、1877年には国立歴史博物館となって現在に至っている。2010年には日本城郭協会によって[[ヨーロッパ100名城>日本100名城#nacac76a]]に選定された。

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|所在地|デンマーク、ヒレレズ|
|現存状態|復元|
|城郭構造|水城|
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