チェコの南西部、プラハからほぼ真南110kmの所にあり、「チェコで最も美しい城」と呼ばれる城である。フルボカー城とも。
始まりは12世紀の初めに、ヴァーツラフ1世プシェミスル朝ボヘミア王によって築かれたと云われている。
一旦執事に管理を任せられ、最初に記録に出てくるフロブルク(Froburg/主様の城)はこれが由来。次代のオタカル2世になると再び王城となった。
プシェミスル朝からルクセンブルク朝と王朝が変われど王の所有物だったが、ルクセンブルク王朝のジギスムント王はフス戦争で戦費が嵩み城を抵当に入れたが、
イジー王の時引き戻され再び王城となったものの、妻ヨハナ女王*1の持参金*2となり、女王の死後その兄が受け継いだため王城ではなくなった。
その後はボヘミア貴族の下を転々とし、1661年シュヴァルツェンベルク家のヤン・アドルフ1世公爵の物となった。


所在地チェコ 南ボヘミア州 チェスケー・ブジェヨヴィツェ郡 フルボカー・ナト・ヴルタヴォ
現存状態現存
城郭構造フィリップ様式平山城

コメント Edit

最新の10件を表示しています。 コメントページを参照 画像を非表示

  • この城とは関係ないけど、Podhradで城下って意味だったんだな。前にスピシュ城に行こうとしたときに、麓の町の名前がSpišské Podhradieって名前だったのが、これ読んでようやくその名前の意味が分かった。 -- 2021-06-06 (日) 16:46:08
お名前:

  URL B I U SIZE Black Maroon Green Olive Navy Purple Teal Gray Silver Red Lime Yellow Blue Fuchsia Aqua White

*1 ボヘミアでは王妃も戴冠し女王となる
*2 生前夫から妻に渡される遺産
*3
*4
*5 独名モルダウ


ホーム   一覧 最終更新 バックアップ 検索       最終更新のRSS