フルスト原遺跡とも。 遺跡東側の崖下にある文化財指定の石柱の後側には碑文があり、このように記されている。 史跡 フルスト原遺跡 昭和52年 国指定 この遺跡は、崖上に連なる石積み障壁、四囲に石積みを繞らした郭状の区画、北東部に築かれた城門跡のほか墓および御嶽を内容とします。 グスク時代の石垣島は、沖縄本島の勢力に対して独立性を保ちながら内部は複数の有力者が分割的に地域支配を行なっていたものと思われ、その有力者たちの拠点となったところが遺跡として残っていますが、15世紀の遠弥計赤蜂(おやけあかはち)の居城といわれるフルスト原遺跡はその内でも規模・構造ともに秀れています。 フルスト原遺跡は、沖縄本島等にある城(ぐすく)跡と多くの点で共通する半面、郭状遺構の配置等に独自の性格を見出し得るものであり、沖縄県の歴史を理解する上できわめて貴重な遺跡です。 沖縄県教育委員会 昭和53年3月31日