バグダード のバックアップの現在との差分(No.2)

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*現実の城情報 [#information]

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アッバース朝2代カリフ・マンスールによって築かれた、アッバース朝の都としてイスラーム世界の中心地となった円城都市で、正式名称はアラビア語で「平安の都」を意味する「マディーナ・アッサラーム」という。
駅伝制度を整え中央集権化を図ったマンスールは、バグダードをアッバース朝の交易ネットワークの中心に据えた国際都市として計画し、762年に始まった建設工事は10万人の建築家・職人・労働者、そして400万ディルハムの費用をかけて766年に完成した。
バグダードの市街地は円城外に形成され、8世紀末になると市街地はティグリス川の西岸から東岸へと拡大して唐の[[長安>長安城]]と並ぶ世界最大級の都市として繁栄し、9~10世紀には150万人の人口を擁していたという。
アッバース朝は5代カリフであるハールーン・アッラシードの時代に最盛期を迎え、バグダードはイスラーム黄金時代の中心地として「世界に並ぶもののない都市」と称されたが、彼の死後は各地に独立政権が樹立されてアッバース朝カリフの権威は低下し、イスラーム世界の中心もエジプトのカイロへと移っていった。
そして1258年、モンゴルのフレグによってバグダードは徹底的に破壊され、アッバース朝は滅亡した。
アッバース朝2代カリフ・マンスールによって築かれた円城都市で、正式名称はアラビア語で「平安の都」を意味する「マディーナ・アッサラーム」という。
バグダードはアッバース朝の交易ネットワークの中心に据えた国際都市として計画され、766年に完成した。
バグダードの市街地は円城外に形成され、8世紀末には唐の[[長安>長安城]]と並ぶ世界最大級の都市として繁栄し、9~10世紀には150万人の人口を擁していたという。
アッバース朝は5代カリフであるハールーン・アッラシードの時代に最盛期を迎え、バグダードはイスラーム黄金時代の中心地として「世界に並ぶもののない都市」と称された。
彼の死後アッバース朝カリフの権威は低下し、イスラーム世界の中心もエジプトの[[カイロ>城塞都市カイロ]]へと移り、1258年にモンゴルのフレグによってバグダードは徹底的に破壊され、アッバース朝は滅亡した。

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|所在地|イラク、バグダード県バグダード|
|現存状態|学院、宮殿、城門など|
|城郭構造|城郭都市|

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&color(White,Maroon){城郭構造(クリックで表示)};
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**城郭構造 [#f4056853]

バグダードは三重の城壁に囲まれた円城都市だが、イスラーム世界では円形の都市は珍しく、ヒッタイトのジンジルリ、パルティアのハトラ、ササン朝のクテシフォンなど、オリエントの築城技術を取り入れたとされる。
円城は直径2.35キロメートルで、最も外側の城壁は幅20.27メートルの堀によって囲まれ、その内側の主壁との間には幅60メートルの防御用の空き地が設けられていた。
主壁は高さ34メートル、基部の厚さ35メートル、頂部の厚さ12メートルで、内壁との間にあった170メートルの空間にはアッバース家一族、ムハンマドの教友、カリフの腹心、そして指揮官クラスの高級軍人と親衛隊が居住した。
内壁で守られた内部には中央部にカリフの宮殿である黄金門宮やモスクがあり、その周囲にはカリフの息子たちの屋敷、各種の官庁(ディーワーン)、兵器庫、警察・駅伝の長官の屋敷などが立ち並んだ。
このように円城の内部に住むことを許されたのは特権階級のみで、一般市民は円城の外側に居住区を形成した。
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アッバース朝の交易ネットワークの中心として築かれたバグダードには4つの城門があり、それぞれが帝国内の主要地を通って世界各地へとつながる幹線道路の起点となっていた。
北東部のホラーサーン門は帝国最大の銀産地であるホラーサーン地方を通り、シルクロードを経由して中央アジアのサマルカンドやブハラ、そして中国へと至る、中央アジアの交易ネットワークにつながっていた。
南東部のバスラ門はイラク地方の交易の中心港であるバスラを通り、インド洋ネットワークによって東アフリカやインド、東南アジア、中国に至った。
西南部のクーファ門はイラン・イラクからの巡礼者が集結するクーファを通り、イスラーム最大の聖地メッカに至った。
北西部のシリア門は途中で二手に分かれ、西はダマスクスを通ってアレクサンドリアやカイラワーンに至り、さらにイベリア半島のコルドバやアフリカのモロッコまでつながった。北へはアレッポを経てシルクロードの終点ともされる[[コンスタンティノープル]]に到達した。
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このように政治・経済・軍事・宗教の中心地として繁栄したバグダードだが、城壁や建物の外側部分には焼きレンガやタイルが用いられていたものの、主要な建築素材は日干しレンガであり、度重なる戦乱やティグリス川の洪水により、アッバース朝時代の建造物はほぼ失われてしまった。

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