ハドリアヌスの長城 のバックアップの現在との差分(No.1)
現実の城情報古代ローマ帝国がイングランド最北部に築いた城壁。ローマ帝国の国境線をなすリメスの一種。イギリス最大のローマ時代遺跡でもある。 古代ローマ帝国がイングランド最北部に築いた城壁。ローマ帝国の国境線をなすリメスの一種で、イギリス最大の古代ローマ時代遺跡でもある。 ハドリアヌス帝の勅命により、紀元122年から10年の歳月をかけて築かれた。 ニューカッスル・アポン・タインの東、北海の沿岸に程近いタイン川岸のウォールセンドから、西はアイリッシュ海のソルウェイ湾に面するボウネス・オン・ソルウェイまで、総延長は80ローマンマイル(約117.5キロメートル)に達する。 土塁で建設された部分と最初から石塁で建設された部分、あとから石積みで補強された部分が混じっていると考えられている。 続きをクリックで表示 基本的な構造は他のリメスとも同様に前面(北側)の堀があり、次に土塁または石塁の城壁。その後方に兵がすばやく移動するための軍道。更に南側に排水溝が設けられていた。 城壁は途中のアーシング川を境として、その東側は幅3メートル、高さ5メートルから6メートル。西側では幅6メートル、高さ3.5メートル。後に作り直された部分では幅が2.5メートル以下になっている場所もある。 基本的な構造は他のリメスとも同様に前面(北側)に堀があり、次に土塁または石塁の城壁が築かれ、その後方に兵がすばやく移動するための軍道が通り、更に南側に排水溝が設けられていた。 城壁は途中のアーシング川を境として、その東側は幅3メートル、高さ5メートルから6メートルに達し、西側では幅6メートル、高さ3.5メートルに達する。 のちに作り直された部分では幅が2.5メートル以下になっている場所もある。 1ローマンマイルごとに砦、3分の1ローマンマイルごとに見張り台が置かれていた。現在ではその跡に東から順に番号が振られており、砦は全部で80、見張り台は158ある。 砦とは別に、各拠点にはローマ浴場を備えた駐屯地の跡も発掘されている。 164年にはスコットランドにあったアントニヌスの長城?が放棄され、マルクス・アウレリウス帝の指示で大規模な補修が行われた。 164年にはスコットランドにあったアントニヌス・ピウス帝によって築かれたアントニヌスの長城?が放棄され、マルクス・アウレリウス・アントニヌス帝の指示で大規模な補修が行われた。 他のリメスのほとんどはローマ帝国が衰退したあとは放棄され荒れるに任せられたが、このハドリアヌスの長城はローマ人が5世紀初頭にブリテン島から去った後もイングランドとスコットランドの境界線として17世紀まで用いられ続け、現在の行政区分にも影響を及ぼした。 1987年に『ハドリアヌスの長城』として単独で世界遺産に登録され、2005年にはリメスが追加登録された。このとき世界遺産としての登録名が『ローマ帝国の国境線』に変更されている。 1987年に「ハドリアヌスの長城」として単独で世界遺産に登録され、2005年には「リメス」が追加登録された。このとき世界遺産としての登録名が「ローマ帝国の国境線」に変更されている。 2008年にはアントニヌスの長城も追加で登録された。 ニューカッスルやカーライルの市街地近辺など、破壊されたり石積みが道路や建築用の資材として持ち去られたりしてしまったところもある。
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