ドーヴァー城 のバックアップソース(No.2)
*現実の城情報 [#information]

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ドーヴァー海峡を望む『白い崖』の上に建つ広大な敷地を持つ城。イングランド最大級の城であり、最古の城のひとつでもある。[[ヨーロッパ100名城>日本100名城#nacac76a]]のひとつ。
イングランドにとって海峡が一番狭くなるこの付近は古くから最重要防衛拠点で、第二次大戦が終わるまで(終わった後も)ドーヴァー城は最前線の要塞だった。
現在のドーヴァー城の原形は1180年代にイングランド王ヘンリー2世によって築かれたものだが、1000年ごろに建てられた聖メアリー教会を敷地内に含んでいる。
外周に走る空堀から城門、城壁、塔、中心部の城塔に至るまでがほぼ完全な形で保存、あるいは復元されており、名実共にイングランドを代表する城である。
なお、天気がよければ城内からドーヴァー海峡の向こうにヨーロッパ大陸を見ることができる。

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海峡名の由来ともなった港町ドーヴァーの歴史は古く、ローマ統治下の紀元50年頃には既に現在ドーヴァー城がある位置に灯台が築かれていた。
この灯台の高さは24mもあり、その内のひとつが城中央部に現存している(ただし真ん中で折れており、現存するのは13mとのこと)。
ローマがブリテン島から撤退すると、アングロサクソン人、デーン人、ノルマン人など諸勢力が入り乱れる。当然ドーヴァーも争奪戦の舞台となった。
征服王ウィリアム1世もこの地の近くに上陸して、アングロサクソン人が築いた城塞で態勢を整えたという。

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そのような防衛上の拠点であったため、いわゆる『ドーヴァーの密約』が交わされるなど政治的な出来事の舞台にもたびたびなっている。
また名誉革命の時期には反ジェームズ2世派に占領され、これがジェームズ2世の亡命阻止につながった。

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大砲の射程が延びると、ドーヴァーの町を挟んだ西側の丘の上にも[[五稜郭]]のような稜堡式の支城陣地(『西高地』と呼ばれる)を築いて強化を図っている。
ナポレオン戦争期や第二次大戦時代にもそれぞれ防衛拠点として改修されて使われた。戦時中には実際にドイツ空軍機の爆撃をうけている。のみならず海峡を挟んで長距離砲の砲撃戦までやっていた。
その後の冷戦時代もしばらく基地が置かれていたが、現在は一般に公開されている。一部ではノルマン時代以前から第二次大戦まで、それぞれの時代ごとのドーヴァー城の使われ方を模した復元展示がなされている。

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|所在地|イングランド、ドーヴァー|
|現存状態|ほぼ完全な形で現存|
|城郭構造|平山城|
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**城郭構造
海岸に面した海蝕崖(いわゆるホワイトクリフ)を利用した平山城。
ヘンリー2世以降も何度にも渡って拡張が繰り返され、複数の堀、城壁、土塁を周囲にめぐらせ複数の塔を持つ難攻不落の堅城であった。
時代が下るに従って地下も利用されるようになり、第二次大戦時には大規模な地下壕が掘削された。一部では崖の中腹までトンネルを掘り抜いて砲台を設けている。
この地下陣地は冷戦時にも使われていたために未だに全貌が明らかではないが、2020年から2025年の間に情報が公開される予定である。

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