ティフォージュ城 のバックアップの現在との差分(No.3)
現実の城情報ナントとポワチエを結ぶ街道にティフォージュ城は築かれた。ナントの地はアンリ4世の「ナントの勅令」(1598年)でよく知られた街である。 南東の塔(キープ)は12世紀に築造され、様式はロマネスク様式であった。焼失にあったり、有用性が失われ解体されるなどの見舞われたが城壁や城門のもろもろはまだ残っている。 南東の塔(キープ)は12世紀に築造され、様式はロマネスク様式であった。焼失にあったり、有用性が失われた末に解体されたりもしたが城壁や城門のもろもろはまだ残っている。 塔はもともと高さを24メートルとしていたが測定した結果せいぜい18メートル程度であったようだ。特徴としては角部に設けられた平坦なコントルフォール(バットレス)が挙げられる。 コントルフォールは壁体を支持するために設けられた突出部であり、日本では「控え壁」の方が馴染みはあるだろう。 続きをクリックで表示 この城を含むティフォージュの地は1420年にジル・ド・レの妻カトリーヌ・ド・ティフォージュの持参金の一つで、百年戦争の終結後、ジル・ド・レの隠遁場所となった。 1520年にはシャルル子爵であったジャン2世・ド・ヴァンドゥーム*2の名を冠した塔が門の上に築造されており、ヴァンドゥーム塔と呼ばれる。 その後、城は所有者を転々としながら戦火に巻き込まれてゆく。1569年には宗教戦争によって焼失し、1626年には勅令によって解体された。 その後、城は所有者を転々としながら戦火に巻き込まれてゆく。 1569年には宗教戦争によって焼失し、1626年には勅令によって解体された。
英雄ジル・ド・レの正体(クリックで表示) 英雄ジル・ド・レの正体フランスの大元帥ベルトラン・デュ・ゲクランの曾姪孫にあたり、自身も元帥を務め軍総司令官として百年戦争の救世主ジャンヌ・ダルク*3とともに戦った英雄であった。 コメント |
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